20200226

 早いものでもうすぐ24歳になります。君と一緒に幾重にも武装した体は、少しずつですが鎧を脱ぐことができるようになってきました。脱いだり着たりを繰り返しながら、ひとつずつパーツを減らしています。そちらはどうですか? 鎧を着続けることと脱ぐことのどちらがより苦労するのかはわかりません。きっとどちらも大変な作業になるのでしょう。ただ私の目指したいところは“鎧を着たうえで強い状態”ではなかったようです。

 鎧は私を守ってくれましたが、受け取りたいものすら体へと通してくれないことにも気が付きました。今ではそれが鎧を着ていない懐へ飛び込まれ痛い目を見るよりもずっと怖いことなのではないかと思います。私を不在にしたのは鎧を着た私だったのです。

 戦うべきときが来たら戦う。そのときには頑丈な盾を持っておくつもりです。でも、戦いがないときにも鎧を着込んでおく必要は私にはもうないのかもしれません。いつでも戦えるのだという意思表示を鎧を着ることによってする必要がないということです。鎧は重い。危なくなったら盾で防いで、あとは足取り軽く、鼻歌を歌いながらステップを踏んでいるくらいがよいのかなと思っています。戦いがないときにも戦おうとしなくていい。それだけは君もそうなのではないでしょうか。

 君は鎧を着続けることを選んでいるようですね。実際に着続けているということはそれが君の選択だということです。鎧を着続けて何から身を守れたのか、それによって何を得られたのか、教えてくれたらと願っています。目指す場所が違うように見えますが、結局のところ君とは山頂で再度出会うような気がします。

 桜が咲く前に、ここではないどこかへ行きたいと毎年考えてしまいます。移動できるのはせいぜい布団から机までくらい、それでも距離を出せたほうです。どうしてもと思うものがあったあの頃を懐かしく思います。手紙の大きさから逸脱してきた気がしているので、残りのことは会ったときに。それでは。