210101 クラブと旅

『梨泰院クラス』を見た

 その12話、「お前はお前だから他人を納得させなくていい」という台詞がある。主人公がトランス女性に言った台詞だった。これに尽きるということはないのだが、「これに尽きる」と言いたくなった。すべての人間がここから始まると思う。これがわかってようやく始められる。

 

旅をしたことがない

 いわゆる、旅。海外へ行く、ひとりで行ったことのない他県へ行く、そういった不安の大きいものが旅と呼ばれている気がする。自分を見つけて帰ってくる人もいるらしい。自分を探すのに遠い距離が必要な理由がわからなかった。私は最初からここにいる。必要なのは体の移動距離だけではないはずだ。「旅行は学生のうちにたくさんしたほうがいい」と言われたときに「いや、僕はストリートビューで大丈夫」と返事をした人のことをよく思い出す。

 出不精も相まって、旅をしてこなかった。特に何をするわけでもなく部屋の壁や天井を見つめてばかりだった。今でも、いつも家で何をしているのかと聞かれると困ってしまう。壁を見ているからだ。これを書くあいだだって、手を動かしている時間より壁を見つめている時間のほうが長い。いつもそうだ。

 もし学生のときに天井や壁を見つめるのではなく旅をしていたら、ここまで暗い性格になることもなく得るものを得られたのだろうか。もしかすると旅でなら、見つめたものが小枝をつついて遊ぶカラスや、波の行き来であったなら、あまり地獄を見ずに済んだのかもしれない。

 ぐずぐずとした話をしてしまった。なんにせよ、きっと私は、かかる時間やいる場所、手段が変わるだけで、どのルートを選んでも同量の地獄を経験して24歳になったはずだ。こうなるしかなかった気がする。旅をしても、壁を見ても。

 賢い方法とは到底思えない。壁という動かないものを見つめてしまったがためにこれだけ時間がかかってしまった。それでも基本的には、何を使ったとしてもひとりで行わなければならない作業ということだ。それに、何か楽しいことで相殺してもいい苦しみがあるのか、私にはまだわからない。


200824

夜、ベランダに出てみたら涼しくて驚きました。こんな日に散歩の機会を逃してしまったことが悔やまれます。雨の匂いもしました。変わりなく過ごせていますか。

誰の声も聞き取りづらくなってきたような気がします。一度聞こえるようになった耳がまた駄目になることもあるんだなと他人事のように思いながら、毎日少しずつ絶望してしまう。また聞こえるといいと思いながら、今回ばかりはこのままなのではないかという気もしています。こういったとき、自分に何が必要かは理解しているつもりです。そのうえで、必要なものが必要なタイミングで発生することを待つ。もしかすると何も見えていないままじたばたするより大変なことかもしれません。

もし私の耳が聞こえるようになり、そのときあなたが声をかけてくれるのならば、また話がしたいと思います。それでは。


踊ること

  踊るという手段をとり、私はひとりになろうとしている。本を読むときも人と会うときも、なにかを媒介して私はひとりになろうとしている。他人を手段としてしまうことを申し訳なく思う。他人の存在なくして孤独は自覚し得ない。

 早くクラブで自由になりたい。配信を見ながらするりと出てきた言葉をもう一度頭へ押し戻して考える。私は自由を得るためにクラブへ行くのだろうか? また同じ話をする。音楽は助けてくれない、あのときの話。自由になりたくてクラブへ行くのではない。クラブへ行くと、自由だということが確認できるのだ。

 クラブで踊るうちにたくさんのことを確認する。嫌でも。私が踊っていようがいまいが誰も気にしないこと。友人が友人をしんどい言動でちくりと刺していること。その人は他人を刺すことで自由を得ていること。知らない人への反応で自分の底が見えること。ひとりの時間がなくてはならないということ。ハッピーな気持ちのままに踊るDJも、何かを考えこみながら真顔で踊ってしまうDJも、どちらも同じくらい好きだということ。

 そして、体も心も自由になりつつあること。私を自由にしてあげるのは私だ。クラブの外にいるほうが長い日々の生活の中で、私が私をどれだけ自由にできたか。クラブで踊ることによって確認する。積んできた理性のうえでしか羽目は外せないらしい。

 自由に近いときの私が足踏みをする先にあるのはすごく静かな湖。穏やかで、悲しいも楽しいもある。その場所に行けるのは条件が揃ったときだけ。ただ楽しさがピークに達したときとは全然違うところ。こういうときのクラブは夢のようだよ。踊りが意識の外に出たときの解放感は、夢の外での私からのプレゼント。

 四つ打ちで踊る。規則的なキックとループを推進力に、深いところへ潜る。これまでにも散々考えてきたことをまた考える。同じ結論に辿り着く。ループする。浸透率が高くなる感じ。自分と自分だけで共有する。何度でも新しく生まれる。性に合っているのだと思う。壁に向かうのはまさしく壁打ちのようだが、踊ることだって壁打ちになり得る。旅もそうなのだろうか。


ブルーモーメント

「どこにでもあるような季節と季節のあいだで身動きがとれないんだ」という歌詞は、この2020年という大変な年の最後に意味が増えた。朝の光を反射する大きな川とか、すでに夕方の色を帯び始めた14時の空と新宿のビルたちとか。普通の景色を見て異様に心が動く年だった。できないことが多かった。ずっとなんとなく疲れていて、エネルギーを使いたくなくて、大きく心の動くもののほうへ積極的に近づけなかった。なるべく静かにいよう。ご飯を食べて、それなりに眠る。それだけでいっぱいいっぱいだもの。目を閉じてしまおう。うまく眠れなくとも。

 静かに、目も開けられずにいたせいで、ときどき見つけてしまうすべてを美しく思うようになった。途方に暮れている。クラブを出て、普通の夜明けを見ただけで泣きそうになる。木のそばにいる鳩。あなたがそこに近づく、その様子を見つめる。それだけでじゅうぶんだ。

 「君の愛が幻だったとしてもそれはそれでよかったと思う」。それはそれでね。自分に起きたことに対して少し距離を感じる歌詞。彼だって一応は愛だと思っていたかもしれないもの。ふたりにとって幻だったのか、私にだけ幻だったのか、ちょっともうわからない。じゃあ、ある程度考えたら、もう何もしなくていい。過去に触れることはできない。

 愛を知ることは簡単なことだ。ただ愛は体現しなければいけない。他人はわからないが、少なくとも私は。体現してようやく本当の理解になる。そこがもっとも辛く苦しい段階。文章を読み、語れるようになるだけではまだ知った気になっただけ。私はまだ愛を知れる。私は今、愛してるも少しはわかるのです。


201110

また、声に出さずに伝えようとしてしまうことを許してください。もうじき本格的な冬が来ます。あたたかくしていますか。

先日、ひとりで旅に出ました。旅と言っていいのかわかりませんが、とにかく距離は少し出せたと思います。海のそばを散歩しました。ひとりで好きなだけ歩き、嫌になったら辞めてもいいということが一人旅のいいところだとわかりました。それから、夜の空に白いかもめが連なって飛んでいく様子を見ました。不自然な白さに見えて、海の暗さと相まって恐ろしい気持ちになりました。いい視界でした。

旅先で何か新しいことを考えるようなことはやはりありませんでした。念のためと持参したPCは必要なく、その代わり、このところの私には何も考えない時間が発生していることをじっくりと確認しました。最近の私にはそんなところがありました。ただそこにあるものを見つめることができます。海を見たときもそうでした。海を見て、海だな、と思いました。これはいいことなのでしょうか。

暑い日が好きです。これからの季節にも楽しみはありますが、少しだけしょんぼりとしてしまいます。わかりやすい変化が欲しくて前髪を切りました。長く同じ場所をぐるぐると回っていたことが美容師さんにはばれていました。美容師さんいわく、これは波動のある髪型だそうです。それでは、また。

 

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『梨泰院クラス』を見た話?

 『梨泰院クラス』の話をしたかったのに、こんなことになってしまった。「お前はお前だから他人を納得させなくていい」。他人を納得させなくていい状態とは、自分を認める力を持った状態のことだ。今年は友人たちが自分をよくするため、考えに考えている様子を頻繁に見る。どうにか自分を認めようとしている。私も。

 結局、自分に降りかかっていることが最も考えやすい。自分を認める力を持っていないと、その重要性を理解していないと、他人がその人自身で認めようとしているものを想像することもできない。自分を愛さないと、他人も愛せない。こんなにも苦しい状況を、自分が健康でいられなければ他人を助けることもできない。すべて私から始まる。基本的で難しいことに向かい、友人たちはますます優しくなるらしい。

 2020年のうちに納まらないことばかりだ。隠しても仕方がないから言う、苦しみはまだまだ続く。この年に起きたことを意識して覚えておこうと思う。今年はどうだった? 来年はどうしていく? 聞かせてほしい。私はずっとここにいる。たくさん話そう。


201231

実は、今年のはじめのほうに、愛のやりとりをしました。顔を合わせて言葉にして。その日が今日まで、私を生かしてくれたと思います。私がこういったやりとりを必要だと思えているのは幸福なことです。いろいろな人と言葉で表してきたから、今もなお必要だと思えるのです。

好きな歌があります。歌になりきれていない歌です。生まれてすぐ、摘み取られた、うた。誰にも知られずにあった歌は、信じがたいルートを巡って私のもとへやってきました。この歌は、私が愛をもらった記憶そのものです。聴くたびに愛をもらえたことも、愛したからそうなったことも思い出せます。今年は何度も聴いてしまいました。あなたにも、愛の記憶はありますか?

前髪を伸ばしています。1か月ほどで波動を体の内側に戻すことにしました。そう伝えて、美容師さんを困らせてしまいました。前髪がもう少しだけ伸びて、後ろ髪を少し切ったら、あなたの名前を呼びたいと思います。そのときの私が、以前よりも柔らかくあれたら。

私の名前を呼ぶ前、あなたが少し緊張して息を吸う様子が好きです。それではお元気で。